Diary
沖縄滞在日記

[祈り」伊江島公演 7/30-8/1


(7/31に上演した「祈り」公演。開演前の会場の様子。)

記:水野立子

7/30 リハーサル

今日は、SinBowさんが伊江島に到着。昼からB&Gで稽古、午後から会場でリハーサルを重ねていった。 地元の音響機材を提供してくれる玉城さんが、暑い中で設営をする。 太陽が沈み月が出てくると、それが照明になるほどあたりが明るくなる。通し稽古を2回行いこの場所と慣れる。

7/31 「祈り」公演

灼熱の太陽の元、会場入りしたら、昨日まで白い珊瑚の砂の空間だったのに・・・芝生が見えてきている!!あんなに苦労して重い砂を敷き詰めたのに、な、ななんと、その砂が芝に吸われたのか、白い砂が確実に減っている。。。。がーんん。いったいあの砂はどこに行ってしまったというのか。。もうどうしようもないので自然の理に従うことにする。

7月2日に那覇入りし、3日の宮古島の庭でのパーティーも満月に迎えられた。そして今宵の公演の夜も満月!もちろんスケジュールを決める段階では、満月の日を計算する発想力も なかったけれど、本当に偶然としかいいようがない月の巡り。7月は2回満月がある珍しい月だそうだ。 沖縄に来なければ、日常の中に空を見上げる時間もつくらないし、ビルの隙間から星を探そうとすることもない。伊江島の先端、湧地に寝っころがって空を見上げた時、星座表ではなく、本物の天の川を生れてはじめて見た。同じ空にこんなに星が隠されていたなんて。

ノーラが沖縄入りして、早1ヶ月。駆け足で宮古島、那覇、備瀬、伊江島で過ごした日々は、「祈り」という通底したテーマで沖縄に触れてきた。どの地でも、観光ではたどり着けなかった深いところと出会わせてもらえたと思う。ある意味、ディープすぎた時間だったかもしれない。各地沖縄のコーディネートの役割が、自発的に生まれてきたのは、やはりノーラのダンスの力に拠るものだったろう。沖縄の複雑な側面に少しだけ触れられたように思う、 なんて言うと沖縄の人から「まだまだ早いさー」と言われそうだ。

伊江島では30年前に、那覇ではもっと前に無くなってしまった祈りの儀式。理論では説明できかねる事柄に、人は頓着しなくなって きている。説明できて役に立つ利便性のあるものしか残さない。あと数百年経ったとき、そのことが大いに間違っていたんじゃないか、と人は気が付くの かもしれない。いまの沖縄は、時代の変わる岐路にいるような気がする。今日の満月の夜の「祈り」のダンス公演をそんなことをつらつらと考えながらみていると、人間でない妖精たちが月夜に舞って、失われていってしまう大事なものたちを再生するダンスのように思えた。

今夜の公演「祈り」。想像よりはるかに多い200名のお客さまがご来場いただきました。昼間は暑い沖縄ですが、夕陽が沈むとスッと爽やかな風が吹き、野外公演も実現できる。この歴史的な場所に、村民の皆さんが集まってきてくれたことに感激した。
そして嬉しいことに沖縄での1ヶ月レジデンスに関わってくれた各地の皆さんが、決して交通の便がいいわけではない伊江島まで駆け付けてくれた!宮古島から実行委員の根間さん、那覇からチラシデザインの奥平さん、備瀬から岬のご夫婦、宜野湾のスクエア・ダンススタジオのゆきみさん、糸ちゃん、彩、皆さん!

終演後、ウシャパドゥモー跡で月夜の宴会を行った。伊江村教育委員会の皆さんから、素晴らしい贈り物をいただいた。 伊江島オリジナルのお酒、さとうきびでつくったラム酒。そして、なんと一人づつの氏名が印字されたラベル付だった!!つまりこの世に1本しかないお酒。フクギで染めたテヌグイの黄色も嬉しい。本当にお世話になった伊江村教員委員会の皆さま、ありがとうございました。

8/1 さようなら、伊江島

伊江島教育委員会の皆さまにとって、それはもう降って沸いた天災、台風のような存在だったであろう私たちの滞在制作。無理難題を元気ハツラツでいつも解決してくれたブルーハーツ魂の友寄健吾さん、リハーサル室を提供いただいたB&Gさん、本当にありがとうございました。
そして、私たちの滞在を機にインディペンデントな七つ星が結成されたことが嬉しいです。玄米を炊いたり、写真をとったり、記事を書いてくださった中川さん、メイクや衣装のサポ-トや三線や歌で迎えていただいたあんぽさん、ご飯担当だったひとみさん、珊瑚の砂の窮地を救ってくれ、とラム酒のラベルをプレゼントいただいた知念さん、皆さんに感謝です。

フェリー乗り場でのまさかの幕までつくっていただいたお別れ。港での別れは、見送る時間が長くて本当に悲しくなる。
伊江島にまた引き戻される日が来ることを願ってさようなら。フェリーから見える城山に無事を感謝して手を合わせる。


(ノーラと健吾さん)

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